見なかったことにしても聞こえてくる

誰にも言わないが、本当は、今、死んでしまいたい。

実行する気はないが、今、消えてしまいたい

終わらない苦しみに、耐えるのが辛くなってきた。

ただただ、辛くなってきた。

 

私は、自分の中にある想像の宇宙に逃げ込み、現実世界を覗いている。

徹底した無関心で、ただ、眺めている。

感情を持つことが、即、苦しみになってしまう場所を見ている。

 

みんな、いろいろと苦しいのだろうか。

私が死んだら、私にかかる苦厄がなくなるんだろうか。

身体は、とても健やかだ。

感情は渦の中にあって、動かないみたいだ。

 

死にたい死にたいと、あまり考えない方がいいのか。

死にたいまま、生きている。

いつかは、死ぬ。

いつかは終わる。

私の大切な人達には、長生きしてほしいのに、死にたいなんて矛盾している。

 

死にたい気持ちを持ったまま、粛々と、生きていく。

 

朝が来たら、死にたい気持ちは、少しだけ和らぐし、やらなくてはいけないことがたくさんあるし。

 

やらなくてはならないことがある。

それが、消えたい気持ちを誤魔化してくれる。

 

後ろ向きとかネガティヴとか、気持ちに一応の呼び名をつけて、いっしょくたにして、ぞんざいに扱う。

悪いものとして否定する。

押しつぶそうとしたり、隠そうとする。

 

泣いている子供を押入れに隠そうとするみたいな。

泣き声は、しかし、私の耳にこびりついて離れない。

絶叫になって、すすり泣きになって、壁を乱暴に叩いて、私の横暴を非難する。

私を憎み、私を殺そうとする。

丁寧に扱ってもらえなかったことへの復讐が始まる。

 

今すぐ、病院に駆け込んで、医師に匿われるべきだろうか?

薬を服用して、感情を昏睡させるべきだろうか?

絶叫し続ける感情に対して、無視するふりをやめ、話を聞くべきだろうか?

 

 

派遣会社からの連絡がまだ来ない。

まだ来ないということは、まだ仕事がない。働けない。

派遣先に対して、いつからでも出勤出来る体制を整えておかなくては。つまり、今は動けない。

クラウドワークスを久しぶりに眺めて、出来そうな仕事を探してみた。

そんなもの、ほとんどなかった。

ついでにランサーズも眺めてみる。

 

出来そうな仕事は、やっぱり見つからない。それならそれで、仕方がない。

 

講座の申し込みをしてから、1日経った。

先方から折り返しの連絡が入った。

メールが何通も来ている。

多少、緊張しながら読んでみる。

 

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小説を書く人志望のくせに、読書量が少ない。気持ちが不安定な時は本も読めないものだ。

本屋で目が合ったので、これを読んでいる。

 

地下室の手記新潮文庫

 

今日はこれから、特に外に出る用事もないため、講座へメールを返信したり、掃除の続きをしたり、洗濯したりするつもりだ。

食事をしていないので、空腹だ。

何か食べなければ。

スパゲティは、すぐ飽きてしまうな。

 

クラウドワークスと、ランサーズを眺める。

文章書きで、出来そうなものを探す。

もうやらない、と思っていたが、2件だけ、謎の依頼を発見した。

詳しくは書けないが、明らかに、他の仕事とは毛色が違う。

どちらも掲載されるサイトか提示されていた。

その2件に提案を出した。

 

ひとつからは返信があった。

返信への返信を出さなくてはいけない。

空腹だ。

外に出る気力がない。

 

死にたい気持ちが、まだ押入れで絶叫している。

ふすまを開けて、彼女を救出することにした。

死にたい気持ち、では長いので、呼び名を考えてみる。

自分に瓜二つだが、死ぬことしか考えていないのだ、なんて呼べばいいんだろう?

しばらく考えて、彼女を 安眠と呼ぶことにした。

英語のrestから。休息という意味や、安らかな死という意味がある。

永眠よりは、マシかなと思った。

押入れから出た安眠は、だいたい、大量の薬と飲酒を望んでいる。

安眠をある程度落ち着かせ、薬も飲酒も諦めさせているうちに、安眠がそばにいることに違和感がなくなってきた。

 

今のところ、誰にも打ち明けるつもりはないが、安眠の願望は常に私とともにあるらしい。

表面上、明るく笑ったり冗談を言うこともあるが、安眠は私の腕をしっかりと掴み、忘れさせまいとしている。

私も、忘れたいとは思わない。

この願望を抑えつけることよりも、常に共にいる方が、まともな気分がした。

 

自分で自分を偽ることくらい、苦しいことがあるだろうか。

怖い、嫌だ、嫌い、やりたくない、死にたい、死にたくない、叫びと安眠がそばにいる。

天国でも地獄でもなく、生きている者の世界がある。

二極論に引き裂くことが不可能な感情と願望が確かに存在し、私と共に生命活動を営んでいる。

心臓の脈打つ音が聞こえる。

 

消えたいと望む割に、存在感が強すぎるその様に、親しみすら覚えてしまう。

 

お昼ご飯を用意して、身体が動くなら、何通かメールを返そう。

講座で使うテキストを取り寄せよう。

恋人からもメールが来ていた。

友人からも来ていた。

死にたい気持ちを自分からは隠すことなく、淡々と行動するのだ。

 

前向きに、明るく生きなくてはいけないなんて決まりはないし、死にたいと願いながら生きたいと願うことに、矛盾は全く感じないのだ。

ただ、人にこんな話をすると、余計な心配をかけるだろうし、この感情や願望を説明できる自信もないから、誰にも言わないでいよう。

 

さあ、仕方ないから、外に出る。

安眠を連れて行く。

絶叫は止んで、静かになったけど、彼女の気持ちは変わらないみたいだ。

 

 

 

 

書き終わったら、

洗濯機が止まった。洗濯が終わったからだ。

天気が不安定だから、コインランドリーに行こう。

ああ、恋人に、電話をしなくては。ただの業務連絡だ。

さっき、お腹がすいて、スパゲティを茹でて食べた。

栄養が偏ってるのはわかっている。

生きる気力については、もう考えたくない。

書くことは何もないし、書きたいことも何もない。テーマもストーリーもない。

話をするのが、死ぬほど面倒臭い。

しかし、こうして何かどうでもいいことを書いていると楽になる。

感情の、ゴミ箱がある。

ウジ虫がわいたタッパーを捨てる。

希望が全く湧かない。

今日はどこにも行きたくない。

だが、夜には、恋人の仕事の手伝いで出掛けなければならない。

これは、仕方がない。私しか手伝いが出来ないのだ。

不思議だ。

彼と付き合う前から、彼とずっと一緒にいるのが当たり前に決まっていたような気分だ。

しかし、それをたらたら書く元気もない。

私に必要なのは、金だ。

社会的地位は諦めている、欲しくない。

本当に、何もする気にならない。

多分、少し眠る必要があるんだろう。

 

病院に行って、気休めを処方してもらうべきだろうか。

お金ばかり掛かってキリがない。

頭がおかしくなりそうだ。

今日は、まだ何もしていない。

無気力なまま、スマートフォンからブログに文字をつらつら打ち込みまくるだけ。

こうしていたら、楽だからだ。

 

掃除を、すべきだろうか?

眠るべき?

ああ、電話だ、電話しなくちゃ。

 

かけてみたが、出なかった。

彼はだいたいいつも、一度で出ない。

いつも、少しだけ、イラつくのだ。

掛け直してはくれるが、イラつく。

 

自己愛はあるが、自尊心が低い状態なのか、自分のことを丁寧に扱えない。

と、言うよりも。

対他人という観点から自分の行動を決定するのが嫌すぎる。

自分の中に他人目線を作り出すのが反吐が出るほど嫌なのだ。

クソが。

と、自分に言う。

今まで生きてきた中で、今の自分が一番クソだが、今の自分が、一番自分らしい。

 

さあ寝よう。

ウジ虫がたくさんわいた。

 

時間がぐらぐらする

外に出たいのに、出たくない。

恋人が、私の状態を気にして外に連れ出そうとしてくれる。

有難いのだけれど、外に出たからと言って気晴らしになると決まったわけではない。

逆に、落ち着かなくなって、不安定になる可能性もある。

環境を変えても、自分自身が変わらなければ、あまり意味はない。

 

けれど、心遣いは嬉しい。

 

とりあえず、食い扶持が見つかるまでは、人間として生きていく最低限の準備をしておかなくてはならない。

 

小説を書き、デビューするという当面の目標を立てたので、次は動き出すべきだ。

 

食い扶持探し以外では、小説に全力を注ぎこもうと思う。

 

と言っても、初心者なので、闇雲に書きまくるだけでいいかはよく分からない。

これに関しては、ひとつだけ、小説講座を受講する予定だ。

本とネットで情報を集めてみたが、費用が良心的かつ内容が厳しく、取り組む価値の高い講座と感じた。

愚直に取り組むしかないのである。

 

しかし、頭の中がごちゃごちゃする。

ここ最近、自分自身を卑下することしかしていない。

誇れることがないので、仕方がないのだよ。

 

前職を逃げて辞めたことをかなり引きずっている。最低な辞め方をした。

職場環境も、あまり良くなかったけど。

胃がキリキリして、毎日死にそうな気分だった。

言い訳にはならないな。

 

小説と、今度の食い扶持については、ちょっとやそっとでは逃げ出せない。

 

 

さて、講座に受講の申し込みをした。

 

数日間、この申し込みをためらっていた。なんのことはない、新しいことを始めるのが怖かっただけだ。

そして、講座に申し込んだことで、妙にテンションだけ上がって、やる気が失せるんじゃないかと危惧したからだ。

 

あまり、余計なことは考えない方がいいのかもしれない。

 

愚直になるしかない。

 

やるならば、全力でやるしかない。

 

私が失敗したとしても、誰にも迷惑はかからないのだ。

生きる道を誰かが作ってくれるわけでもない。

結局は、自分自身で決心して、生きるしかない。

私が決めたことを実行できるの人間は、私しかいない。私は私の人生に問われているのかもしれない。どう生きていきたいのか、何をしたいのか、どうなりたいのか、どうなれば生きるのが楽しくなるのか。

 

一歩ずついくしかない。

 

今日は、殺虫剤と芳香剤を買おう。

洗濯と掃除もしよう。

希望なんか、全く持てないが、死ぬわけにはいかないし、自分の大切な人を失望させたくもない。

少し眠るべきだろう。

 

本当に、気持ちが暗い。

自分のような酷い人間が、人並の幸福や平穏を求めることが恥ずかしく、虚しく、馬鹿なことに思える。

だから、幸福や平穏は求めない。

 

こうして、つらつらと、胸の内をずっと書き連ねていける場所があることに、救われている。

さっきから、ずっと書き続けている。

頭の中が混乱して苦しい。どうせなら頭の中を全部書き出していた方が楽に思える。誰が読むわけでもないので、自由に。

 

ああ、私は、自分の母に感謝している。

母は私を育ててくれた。

しかし、今は、母の価値観に縛られて、生きることに希望を持てないでいる。

母を恨む気持ちは全くない。

これは、自分の問題だ。

母のせいではない。

生まれ持った、自分の流されやすく影響されやすい、八方美人な性格のせいだ。

私は、ある意味で、今やっと、親から自立する時を迎えているのかもしれない。

これからは、社会に反しない限りは、親にどう思われるかを考えないで、進み続けなければならない。

 

私を親として褒めてくれる人はいないし、叱ってくれる人もいない。

従って、全てが自分の責任になる。

物理的にも精神的にも、自立する。

私はどう生きてもいいのだ。

親から見て、いい子である必要はなく、親の満足する生き方を探す必要はない。

迷惑をかけるつもりはないし、親が困ったら助けたい。

 

私は、親がダメだと言うことをせず、生きてきた。

 

今からは、する。

迷惑をかけない限りは、自分で選んだ道を行く。

そうしないと、気が狂うだろうから。

生きていくしかない。

 

必要にやるしかない。 

 

躁状態に陥っているのか、眠気がこない。

 

あまり後ろ向きで卑屈になりすぎると、世の中全てに否定的になり、他人がみんな敵に見えてくる。

私は、仮想敵に見つからないようにして生きてきた。

 

これからは、もう、仮想敵を相手にしないことにした。

不機嫌そうな奴がいたら、気にしてしまい、病むほどくるしんだが、考えてみれば、なぜ私が、親しくもない奴の気まぐれに振り回されなければならないのか。

今後も多少は、そういったことで苦しむだろうが、前とは違う。

不機嫌そうな奴は、優しく無視する。

ニコニコしながら切り捨てる。

バッサリと無視する。

いてもいなくてもどっちでもいいのだ。

 

たくさん文句を言う奴に怯えるのも、もう嫌だ。仲間はずれにされたり、陰口を言われたくなくて迎合していたが、もう嫌だ。

近づきたくない。

顔もみたくない。

愚痴や文句ばかり聞くのは嫌だ。

ニコニコしながら、働いてやる。

仲間はずれになってもいいし、孤立してもいい。

笑顔で、仕事してやる。

私は、奴隷ではない。

ネガティヴな空気を作って、他人もそれに従わせようとしてくる奴とは、必要以上に絡まない。

 

全部、スルー出来ない自分が悪いのだ。

私には、目標があり、今はそれを達成するために生きている。

他のことにも、手抜きはしないが、人間関係に関しては、これまでとは考えを改めないと、潰れてしまう。

 

仕事の仲間は、仕事だけの仲間。

仲良くなれたらラッキーだけど、気にしすぎたりはしない。

他にもっと大切にすべき人が私にはたくさんいる。

 

目の前の仕事に、全力で取り組むだけ。

誰がなんと言おうと、知らん。

辛い時は号泣してやる。

まあ、節度を持って。

 

ああ。

辛いな、今は、辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラウドワークスの思い出

クラウドワークスに登録して、文章を作る仕事をしたことがある。

漫画を描く仕事もしたが、そっちの方がお金は儲かった。

文章を作る方は、辛い作業だった。

仕事そのものをどう捉えるかは、各々勝手。

私がやっていたのは、ブログ記事の執筆だった。

500文字から1000文字程で、指定されたキーワードを適度に組み込みながら書いた。

ダイエットやら美容やら、いろいろ書いた。

書くほど、疲弊した。

お金はいただけたが、辛い作業だった。

記事書きマシンになる仕事だった。

書くことが好きな人間には、逆に向かないんだろう。

自分の書いた文章に価値があるから単価が低いことが辛い!のではない。

 

文章の価値なんか考えず、マシンになるのはしんどかっただけだ。

もちろん、考えたところで、大した価値なんかない。

ただ、絶望的に、精神が疲弊した。

 

書いた文章に名前をのせてもらえないのは悲しい。

掲載されたサイトがどこにあるかさえ分からないのも悲しい。

 

名前くらいは表示してもらえるように、文章への関わりを変えなければいけない。

 

クラウドワークスで文章を書く仕事では、私は顔がない。

ちょっとはお金になったが。

自分の書いたものが、どこでどんな風に使われたのかも分からないのは、地味に精神を削られるものだ。

とにかく、私には合わなかった。

 

漫画の仕事は楽しかった。

頑張って描いたが、自分の実力以上の報酬をいただいて、ありがたくも申し訳ない気持ちになったくらいだった。

掲載場所もはっきりとしていた。

画風も、依頼主の求めるものと合っていたそうで幸運だった。

ああいった機会は、そうそうない。

 

もし、クラウドワークスやランサーズでまた仕事をするなら、記事書きはしない。

私には合わなかったからだ。

漫画の依頼は少ないし、キャラクターデザインなんか出来ないので、絵で仕事する機会もないだろうと思う。

 

顔が見えない仕事には、向いてない。

不安になる。

一人で黙々とやるのは好きだから、大丈夫かと思ったが難しかった。

 

メールより電話が好きだ。

電話よりは、対面がいい。

黙々と出来て、打ち合わせは対面がいいなあ。

掃除が苦手だ。

あまりにも、アパートの部屋が汚い。

部屋の状態が、頭の状態だ。

とか言われるが、少し違う。

掃除したいが、気力が湧かない。

誰もここには来ない。

 

遊びに行ったり旅行したりご飯食べたりを一緒にする友人はいない。

いなくても、困らない。

連絡を取り合ってはいないが、友人だと思っている人はいる。

その人とは、ある趣味を通じて出会った。私より年上だけど、同年代の異性だ。

その人は結局、その趣味を仕事にしている。現在、成功していると言える。

そういうことは、嬉しい。

だけど、あまり、大っぴらにはいわない。

あまり、その人の迷惑にならないようにしたい。

押し付けたり押し付けられたりしないから、友人としていられる。

 

先ほど、決意表明を書いたのは、この友人からの影響が少しある。

感謝とともに、アンサーソングを作ってみたいのだ。

非力であっても、才能がなくても、努力だけはタダで出来る。

 

掃除に関しては、全く努力したい気持ちが起きない。

人として、とか、考えるのが面倒だ。

 

派遣会社からの連絡は多分、月曜以降だろう。紹介された派遣先が採用してくれたら嬉しいが、断わられる可能性も高い。

生活手段を手に入れ、しかも出来るだけ継続していきたい。

小説を書くのはいいが、餓死したら元も子もないからだ。

 

しかし、会社に行くために毎日化粧をするのは骨が折れる作業だ。

見た目をきちんとして、清潔感を保つのには、自分を律することが必須だ。

化粧には、時間がかかる。

 

最近、諦めようと思ったことがある。

 

料理だ。

 

きちんと料理する気力がない。一人で食事しても、楽しくないのだ。手を抜くことにした。食材を腐らせるのは嫌だし、作り置きもしない。バランスだけは気をつけて、凝ったものは作らない。

 

掃除も、した方がいいのは分かっているが、継続出来ない。

インターネットを使って、掃除片付けを調べてもちっともやる気にならない。

掃除をすると、いいことが起こるって、よく言われるが、あるんだろうか?

 

綺麗な部屋は気持ちいいけれど、汚れた部屋は暗くなる。

 

本当に、今、気力が落ちているみたいだ。

自分で自分をなんとかする、という、最低限のことすら出来ないで、甘えを腐らせている。

 

たくさん考えるより、行動が先だ。

考えるのは、小説を作る時だけでいい。

 

最低限、生活だけできればいいのだ。

 

幸か不幸か、私は高い確率で妊娠できないので、結婚もできないかもしれない。

家族を持つ可能性が低いのだ。

 

だから、今の所、社会にいる身としては、最低限、自分のことだけなんとかしていればすむ。

 

しかし、家族を持てないというのは、寂しく辛い。

 

結婚して子供がいる、というのは、私にとっては非現実の世界だ。

望んだこともあるが、多分、不可能だ。

 

掃除したくない。

生活は、したくないことだらけだ。

怠け者は、飯を食うなと育てられた。

昔から、掃除は苦手だ。

 

今日は最後の日です

先日、仕事を辞めてしまいました。

現在、求職中。

自分のあまりのクズ加減に、鬱を通り越して、感情そのものが停止してしまいました。自業自得ですね。

仕事を辞めてしまった経緯は、書きません。反省はしていますが、まだ振り返って向き合う気分になれないのです。

この1年で仕事を辞めたのは3回目です。

あまりの耐性のなさ。

正社員として採用された職場もありました。

仕事自体は苦ではありません。

お金がなければ生きていけない。

親や家族にも頼れる状況じゃないので、すぐさま求職。

先日、派遣の登録に行きました。

ずっと昔にネット登録だけして、本登録をしていなかった会社です。

電話で予約をして、伺いました。

台風が近づいており、雨模様。

派遣の登録って、簡単です。説明やスキルチェックも全てパソコンを使って行われます。

タイピング能力のチェックがあったのですが、結果はタッチタイピングが出来てるレベルの判定だそうです。出来てないけど。右手は人差し指しか使ってないけど。

私は憂鬱でした。

この2年間、会社勤めしながら、精神が崩壊しそうになりました。

辛いので病院にかかったところ、精神障害を持っているらしく、一生付き合っていかなくちゃいけないやつでした。

なんとなく、そんな気はしていたので、納得したと同時に、かなり絶望もしました。

薬の治療は辛い。

金がかかりすぎる。

とにかく最近は、生きていることが申し訳ない気持ちでした。

かと言って死ぬのも嫌だった。

何に対しても楽しみが見出せず、苦痛ばかり。

段々、感情がマヒしてきました。 

とにかく、お金は必要です。

どれだけ苦痛だろうが、仕事場に復帰する必要があります。

今は、とにかく、生き残るためだけに、なんとか働き続けなければなりません。

今は、死ぬのは怖いし、自殺願望はないのですが、これから先、そういう状態にならないとも限らない。 

死ぬことだけは、避けたい。

働いてお金を得なければ、死ぬしかないのです。

 

たったひとつだけ、今、やってみたいことがあります。

それは、小説を書くことです。

以前、中編をいくつか書いたことがあります。

書きたいテーマがいまいちはっきりとはしていないのですが、書く意思ははっきりとあります。

物語を、最後まで書ききりたい。

不思議なことに、この願望は、私にとって、死にたくないことと同義なのです。死にたくない、だから小説を書きたい。

 

キラキラした生活は諦めました。無理です。

意識を高く持つことも、私のような弱虫には無理です。

職場からほぼばっくれ同然に逃げ出し、社会人どころか人間として失格である私には、誇りを持てる要素がありません。

私が、なんとか生きていたいのは、親や恋人や友人に対して、自死だけは出来ない、裏切る訳にはいかない、という最後の罪悪感からでしかありません。

 

つまり、いい格好したいという、情け無い事情からなんです。

悪く言われたくない、それだけなんです。

誰かの役に立ちたいとか、貢献したいなんて気持ちは、本当にこれっぽっちも持てません。何故なら、私は自尊心が高く、高慢で、自意識過剰で、他人を見下しているためです。

そのくせ、悪目立ちは絶対したくないという姑息なところがあります。

景気のいいことを言う人や攻撃的な人は苦手です。そういう人のそばにいると、憎しみを抱くくせに媚びてしまいます。恐ろしいからです。

私は、徹底して、人間を信頼していないのかもしれません。

自分を含め、人間は非情で恐ろしいものだと考えているのだと思います。

 

とにかく、生き延びなければなりません。楽しみや希望は、今はみつからない。たったひとつ、小説を書きたいという願望だけはありますが、楽しみや希望とは言えません。

 

先日、派遣会社から連絡をいただき、働き口を紹介してもらいました。

派遣会社の営業の方と待ち合わせしたのですが、待ち合わせ場所を間違えました。

なんとか落ち合い、派遣先の会社へ向かいました。建材メーカーさんです。

早く派遣先が決まることを願っています。

給料をいただけるだけの仕事をできるよう働きたいのです。

もう、人間関係には振り回されません。いじめられようが無視されようが、働くしかありません。

 

私が一番辛いと思うこと。

 

それを言語化することが出来ないのです。

 

しかし、私は、自分を生かさなければいけないという義務感だけは持っています。自分が可愛いのです。

老いた親にとって、自殺した娘になることは、避けなければなりません。

なんとか、クソな自己愛を満足させなければ、クソなリストカットはしたくないのです。(リストカット自体をクソと言っているのではなく、今の私がリストカットすることがクソなのです)

 

自傷や自殺をたてにとれば、少しは哀れみを買うことは出来るかもしれませんが、もう私にとって、それは無様な行為でしかないのです。無様で、クソで、吐瀉物です。

そこまでして、他人の同情に甘えるくらいなら、私ごときは、生きていない方がマシだと思います。

私なら、身近に私がいたら大嫌いになるでしょうね。

 

生きるためには、健全な自己愛が必要です。生きることを、楽しむ力が必要なのです。

 

精神障害や生きにくさを言い訳にしないために、健全な自己愛を育てたいのです。

それには、どうすればいいのか?

 

何かを、やりぬくしかないのです。

 

仕事においては、今、生きるだけのお金を得るために、なんとか、精神障害を抑えつつ、辞めずに行くこと。

幸い、仕事の能力自体は問題ありません。どこの職場でも普通にこなせていたのです。だから、激しい精神状態の地獄さえ、乗り切ることが出来ればよいのです。

 

そして、お金を得て、なんとか1人でも、食っていきながら、小説を書きたいと思います。

 

新人賞に応募して、受賞して書籍化されて、デビューしたいと思います。

もちろん、今は全く、そんな力はありません。

ただ、ただ、その目標に向かって、努力してみたい、それだけなのです。

 

何故、小説なのか、自分でも分からないのですが。

 

小説に関しては、デビューというひとつの結果を目指してやっていこうと決意します。

自分で結果をどうこう出来ませんので、一生デビュー出来ない可能性は高いです。

そこのところをどう捉えるかはまだ自分の中ではっきりとは決まっていません。

いついつまでにデビュー出来なかったなら諦める、というのはなんとなく違うと感じています。

まだ始まってもいないことに期限をつけるのは、現実的ではないように思えます。

 

とにかく、頭で考えているだけでは、何も進みません。

今、無職の精神疾患持ちの、自己中の中年女が、なんとか、前向きな目標を持って、進みだそうともがいているだけです。

 

食い扶持を稼ぐために、働くのは辛いです。私には、仕事場の人々が恐ろしすぎるのです。(多分、これは妄想です。自意識があまりに過剰なため、こういう考えから抜け出すことが出来ないのです)

しかし、働きます。

絶対に、なんとか、働きます。

そして、小説を書きます。

 

自分で決めて、それを行います。

決して、今日、ここに書いたことから逃げ出しません。

逃げ出す時は、自殺する時かもしれません。

このとりとめない決意表明は、私のリアルな知人には見せません。

偶然、この決意表明を見かけた方が、もしいらっしゃるなら、その方にだけ、読んでもらっているものです。

 

私は、生きるために健全な自己愛を育てるために、自分で決めたことを実行します。

死にたくないのです。

生きる喜びを知っているから、それをなくしたくないのです。

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瓦れきの上のユンボ