這い上がらない

私には一つ目標がある。

掃除と片付けが出来るようになることだ。

優先順位をつけるのが苦手で、掃除や旅行の準備をしたくても何から手を出していいか分からなくなるのだ。

だが焦ってはいない。

非常に難しいのだが、やる気になっているのか病的にテンションが上がっているのか区別をつけないといけない。

病的テンションの時に徹夜で掃除しても継続には至らない。

物事を凪の状態で継続していく。

これが最終目標だ。

以前は感情がなくなってしまうのではないかと恐れたが、今は少し違う。

私の本質はあまり変わらない。私はあまり人と気が合わないらしい。孤立はしていないが孤独は感じる。発狂しそうな切羽詰まった精神状態は紛れもなく私を形造る一部分であり否定したところで消えはしない。それを認め始めたのだ。

まともな人間、という言葉に固執し、自分を振り返らず発狂ばかりしていたが、少しだけでも狂気の手綱を握れないか?と思う。

まともでなくていい、自分がどんな状態か前よりは分かるようになるだけでいい。体温計ならぬ体狂計が欲しいのだ。

狂気がもたらす一番の悲劇は死かもしれない。うねりの激しさに耐えられなくなり命ごと手放したくなる。あるいは薬やアルコールに溺れて意識の混濁を望む。悲観は恥を刺激する。生きるのが困難なほどの恥ずかしさが襲う。そしてこれがずっと続くかもしれないと思うと疲れきってしまう。

私は眠るべきだ。

私は優先順位を決めるべきだ。

孤独ならば孤独なりに孤独だからこそできることがしたいのだ。

戦いは自分へと向かい、体は外へ向いている。

何故正当な手順が踏めるなんて思ったのか。安易で安全な方法がどこかにあると思ったのか。

私は私の感情を一切捨てたくない。全て私には大切なものなのだ。狂気だとしても。

 

つまり這い上がらない。理想などない。掃除ができるようになればかなりいい線だ。

ちなみに仕事机は綺麗に片付けていた。

「まともな何か」を期待しない。綺麗な道はない。自分を楽しませるのはいつも自分だった。どんなに頑張ってもうまくいかないからこそ楽しい。

悲観的な楽観主義。

闇がない場所では何も熟さない。