薬と極彩色と天と地

自己肯定感、成功体験、これらの概念が恐ろしい。

 

 

自分の限界が静かにやってくる恐怖が常にある。

ちなみに、私には10年以上継続していることが一つだけある。

しかし、自信には繋がらない。 

身体を壊すまで追い詰める悪癖があり、常に緊張状態のため、いつ自滅するかそれが怖い。楽観したり楽しむことが下手すぎるのだ。

何故、無理に自己肯定感なり成功体験なりを良いものだと思い込まなければならないのか。

人はそれぞれ得手不得手があるのだ。

私は「いい気分」を常に疑って生きていなくてはならない。

感情を疑問視し、時には否定し、抑えていなければならない。

 

実際、私の「いい気分」は、時に常軌を逸し、必ず激しい鬱という反動を伴うのだ。

起き上がれなくなり、恐怖や不安や自殺願望が収まらなくなる。

 

いつもいつも、病的な高揚感を操縦するのは困難なことが多い。元気になったのか病的なのか自分では判断しにくい。しかし、大体、少しおかしいくらい元気になるようだ。

 

服薬のおかげか、または、ある程度世間から隔絶された環境のせいか、乖離を起こすような症状は少なくなったが、まだ療養を開始して1年未満、自分が客観視出来ない。

自分を自分たらしめていた感情をいちいち疑い、楽しい気分を抑えつける。

 

現状から良い材料を探すのも注意が必要だ。

 

自分の感情を野放しにすると、絶叫したり記憶をなくしたり眠らず活動を続けたり急に散財したり異常なハイテンションが起こるのだ。

 

私は私とどう付き合い、どう向き合えば良いのか。

 

急転する超高揚と無感情のループについていけない。自分という人間が全く定まらない。性格が粉々になる。

 

自己肯定感、成功体験は、私にとっては恐怖の言葉だ。

コツコツと積み上げたものが、激しい乖離でなくなってしまう恐怖が絶えずある。信用も友人も失う。

 

人としての責任という話になると、自信がないどころか、消えたい気分になる。私には責任を果たす力が足りない。

 

子供の頃からこうではなかった。

明らかに昔とは変わってしまった。

 

誰に理解してもらいたい訳じゃない。出来れば他人にこんな恐怖を味わって欲しくない。

 

この恐怖感を予期不安というらしい。

尋常じゃない恐怖感だ。

 

このままこんな状態でがんじがらめになって一生過ごすのはあまりにもつまらない。しかしこれまでのやり方では上手くいかないのは分かっている。

そして、一朝一夕で解決しないことも覚悟しなければならない。

 

嘘をついて前向きなことを書けば、なおさら苦しいので、そんなことはしない。 

現状が苦しいなら、今は出来るだけありのままの自分を曲げない方がいい。

無理矢理なポジティブは治療にも良くない。

 

一般的な成功体験が私を苦しめて自己肯定感を消滅させる。

築き上げたものが台無しになる予期不安だけが積み上がってしまう。

たとえ認知が歪んでいようが、今はそれが現実の率直な表現だ。

 

私がパワフルでポジティブで活動的な時は、本当に怖いのだ。

 

そんなことを常に考えながら生活し、自分を否定し抑制するのは悲しく難しい。

 

悲劇のヒロインになれたら楽だ。

自分を可哀想と思い込めたら楽だ。 

しかし、開き直ることも出来ない。

そうならないように感情を抑えている。

いつまでこうしていればいいのか分からない。打開策が欲しい。病気に甘えていると言われるのがしんどい。誰もそんなことを言わないのに、怠けているのではとまた思考がループする。

 

なんとか死にたい気持ちは薄らいできた。

誰かにとって有意義な事柄が、必ずしも万人に当てはまるわけではない。

私は、ぼちぼち、亀の歩みで生きていく。

目標も今は持てない。

持ってはいけない。

すぐに異常な高揚感に陥るからだ。

寝ずにやり過ぎてしまい、燃え尽きるからだ。

 

非常にしんどいが、仕方ない。

徐々に受け入れ、時間がかかろうと、今まで自分を蔑ろにした分、こじらせた分、持久戦を覚悟するしかない。

 

しかし、良くなる保証はない。

自己肯定感や成功体験が、それを良しとすることが、とてつもなく苦しく恐ろしい。

共感出来ない自分が欠陥品に思えてしまう。 

仕方ないし、それが、現状私の正直な気持ちだ。