フィクションと私
昨日の電話、すごく体力を使った。正直な意見を述べるのって、怖いことなんだな。自分をさらけ出すのは、勇気が要る。
私は、昨日の電話相手から嫌われたくなかった。というか、私は誰からも嫌われたくないのだ。
だけど、嫌われたくないと思って要る割には、相手をそれほど好きじゃなかったりする。とても自分勝手なのだ。
いい人でいたいのだ。
昨日の電話。
細かい内容は、もうどうでもいい。
私は怒りをぶつけられていた。
相手の言い分に納得出来ない気持ちは、多々ある。でも、論理的な理由からではない。好き勝手言われたことに対する苛立ちや、被害者ぶる態度に嫌悪感を抱いたせいだ。
もっと冷静でいたいと思った。
当たらず障らずが、自尊心を傷つけていることをよく分かっている。
私は、私の理想を持ちたい。
誰にも触らせてることのない理想。
その理想のためならば、空気など読まない。その理想のために生き、その理想のために死ねるほどの、自分にとってだけの、尊い聖域が欲しい。
昨日の電話の相手には、その聖域はなさそうだった。
そういったものがあるていで話すのだが、行動を見ていれば分かるのだ。彼女の行動は、理想を持っていない人間のそれだ。
私も同じだ。
口では立派なことを言うが、行動は伴わない。
彼女は私の鏡のようだった。
理想を持たない者の自己主張は、子供の我が儘と同じだ。
苦しい道へ踏み出さなければならない。
黙って、ただ、やるのである。絵に描いた餅を綺麗さっぱりと諦める時期が来たのである。
私の周りにあるのは、散漫な思考だけだった。即物かつ、俗物。
結果、つまりうまい汁を諦めなければ、いけない。
膝が震えた。
誰かから、決定的に嫌われ、拒絶され、下手したら悪評を流されるかもしれなかった。正直な意見を述べるとは、そういうことだ。
起こりうる結果を引き受けていく覚悟が全く出来ていなかった。
私は。
高い理想を抱かなければならない。
自分と戦うには、拠り所が必要だ。
誰かに強制されたのではない、誰かに媚びたものではない、険しく厳しい聖域を持たなくてはならない。
投げ出したくなる気持ちと戦い続けるだけの価値がある、戦なのだ。
永遠に勝利などやってこない。だが、負けたくないのだ。
勝てなくても、負けない、は可能だ。
挑み続けるかぎり、負けはない。
辞めた途端、敗北者だ。
彼女は、敗北者だ。
いや、違う。
彼女は、最初から、戦いと無関係な人なのだ。
私は
私は戦いたい。
私は、戦いたい。
私は、戦をする。