つれづれなるままに日暮しスマホに向ひて

週一度と決めている、月曜夜はビールの時間

安定剤と一緒に飲むなんて無茶はしない

自傷は否定してないが、今は今のところは、平穏は平穏で、受け入れられている

 

昨日あたりから、段々と不安感が収まっている

真面目に二週間、デパケンを飲み続けたおかげか

 

仕事は、入社して、やっとひと月半が過ぎようとしている

順調かどうかなど全く分からない

五里霧中だ

 

契約が何件か、月末までに終わりそうな気配だ

私はお客様に恵まれている

みんな、丁寧な方ばかりなのだ

契約できたのは、お客様と、周りの先輩方のおかげ

嫌いな先輩にも(笑)、たくさん助けてもらった

むしろ、嫌い先輩を今日あまり気にならなかったので、嫌いでもないかもしれん

好きではないが(笑)感謝ばかりである

 

お金については、次の給料日までかなり厳しいのだ

ビールはもちろん第三のやつだ

 

今の食い扶持にありつくまでは、毎晩飲んでいた

酒でごまかさないとやばいことを仕出かしそうであった

 

今日のビールは、自分に与える平穏のビールである

350を1缶

ゆっくり飲むのだ

 

焦っていても、それは永遠に続くわけではない

薬に助けていただかなくては生きていけないにしろ、それなりの努力は可能なのだ

 

実を言うと、先日の、双極性障害1型の診断に、衝撃を受けていた

1型かー、そうか、マジかー 、他所から見て一発で分かるかー、マジかー

くらいの凹みはあった

が、診断が下るというのは、自分の中の方針が定まるので良いことでもあるのだ

 

双極性障害1型

 

改めてインターネットで調べてみたが、自分は確かに双極性障害1型であろう

デパケンを飲み続けなければならないであろう

まあ、しかしだ

医師は言った

「心ではなく脳の病気です」

「あなたは治りませんが、病気を抑えることは出来ます」

思い出したのだ

 

一度たりとも、こんな病になりたいと願ったことはないと

他のあらゆる病と同じく、私が望んで発病したのではないと

 

だから、ある意味、自分を責めても仕方ないのだ

遺伝的にも、親類や家族に双極性障害と近い感情の波を持つ者が幾人か思い出せる

父はいきなり私を蹴ったことがあった

こたつの中で足が当たったというだけだった

蹴って、私をこたつから追い出した

いきなり怒鳴ることもあった

祖母はもっと顕著に双極の傾向があった

ハイテンションで怒りまくったかと思えば、暗い愚痴を言いながら引きこもっていた

 

家族の中で、生きていくのが困難なほどに病に侵されたのが私なわけだが、今の時代と、祖母や父の時代では、双極性障害への理解度や医療の進歩についても全く違う

つまり、祖母や父より、私はかなり恵まれた環境、時代に発病したのだ

もちろん、最初はうつ病と診断されたため、そこから双極性障害の治療が始まるまでに10年以上費やしたが、それは仕方ない

うつ病のうつと、双極性障害のうつは全く違うのだと今なら分かるし、躁があったことも今なら思い返すことが出来るが、双極性の患者にとって、躁転は決して不快ではなく、最初は見過ごされやすいのだ

だから医師に話す必要もないと思ってしまう

 

晴れ晴れとして、意欲的な気分なのに病気のせいでそうなっているわけで、とても見落としやすいのだ

 

私は軽躁を飛び越え、混合状態に至り、それが毎日になるほどに双極性障害を拗らせてしまった

高いローンを組んだり、迷惑電話したり、危ない仕事をしたり、文字通り、社会生活を営むには危険すぎることばかりした

 

今は薬や自分自身の方針のため、そんな状況からは免れているが、もし、自分が双極性障害と知らないままだとしたら?

ビールがなくなった

 

眠りたいな