感情が何を感じようがあまりにも自由なのだ

眠らなくちゃな、と考えて、眠りたくないな、と本心は答えていた。

 

昨日は一日、どうにも調子が出なくて臥せっていた。

本当は、いろいろ用事を済ます予定を立てていたのに、情けないなあなんて思いつつ。

メールの返信をすることも出来ず、布団でうだうだとしていた。

夕方、恋人の仕事を手伝いに行く。

お客様が営業時間外までねばっていたので、帰宅は3時近くになった。

水商売のしんどいところだ。仕事だから、仕方がない。

しかし、何時に帰れるのか予測がつかないっていうのは地味に精神を削っていくものだ。

本当は、帰宅したらメールの返信をしたり、書きかけのコラムを完成させるつもりだった。

しかし、仕事中に不安な気持ちが爆発してしまった。

 

安定した収入源がないこと。

親に情けないと言われてしまったこと。

自分の信念に自信が持てないこと。

恋人に小説家になる夢を宣言できなかったこと。

 

何もかもか、自分を追いつめて、否定してくるような、逃げ場がない気分になった。

 

かと言って、この世から逃げ出すわけにもいかない。

ブログに、死にたい死にたいと書きまくっているが、実行に移すまでには至っていない。

安眠(自分の中の希死念慮を擬人化したもの)の発する言葉に耳を傾けるようにしている。

本心を偽ることが一番いけないのだ。

 

帰宅して、しばらくは鬱鬱としていた。

いけないと分かっていても布団の中でスマホを眺める。

なんとか、現状から抜け出し這い上がりたい。

クリストファー・ノーラン監督の映画「バットマンビギンズ」で、主人公の父親

「人は何故落ちるのか。這い上がるためだ」と言っていた。

高みに登れなくてもいい。

せめて地面に這い上がって、陽の光くらいは浴びたいじゃないか、と考える。

 

スマホをいじっていると、メンタルブロックの記事に行き当たった。

 

メンタルブロックとは、マイナスの固定観念のことらしい。

 

つまり、今の私を支配している観念だ。

 

メンタルブロックは、いくつかの過程を経ると、外すことが可能だそうだ。

私は、私のメンタルブロックとしばし対峙することにした。

 

生きる上で恐怖を感じる場面を思い描いてみた。

一番の恐怖は……未知の領域に踏み出すことだ。

小説家を目指し、日々文章を書き続ける。

派遣に登録して、派遣先に顔合わせに行く。

新しい職場で、新しい仕事に取り組む。

仕事仲間とコミュニケーションをはかる。

クラウドソーシングで文章書きの仕事をする。

そんな、自分で決めて行うすべてのことが、未知の領域へと私を連れ出すのだ。

それらが恐怖を呼び起こしている。

失敗への恐怖ではない、孤独への恐怖でもない。

 

自分で決めて自分で行うことそのものへの恐怖だ。

 

誰かの承認なしに自分の人生を生きることへの恐怖。

 

親の承認、兄弟の承認、恋人の承認、友人の承認、世間一般の承認。

そんなものを無視して、自分の可能性を信頼することへの恐怖。

自分を無視して他人の承認を優先させてきた、主体性のないこれまでの人生から、脱却することへの恐怖。

 

雨宮まみ氏のコラム『40歳がくる!』を読んだ時に感じた恐怖。

「次の嵐」

恐怖とは、嵐なのだ。

 私が雨宮まみ氏を知ったのは、彼女が亡くなった後だった。『40歳がくる!』は、私にとって痛みと傷をえぐられるような素晴らしいコラムだ。素晴らしい文章は、いつでも、読む者の傷を開き血肉を露わにさせ、同時にその痛みを癒すのだ。傷を負ったことを否定せず無視せず悪者になどしないのだ。

 

恐怖としばらく対話した後、恐怖はまたしても絶叫を始めた。

けたたましいというか、哀れというか、手の付けられないというか。

そういう、ちょっとやそっとでは収まらない絶叫だった。

恐怖は、怒りに満ちていた。

 

私をこんな目に合わせやがって。お前を許さない。

自分をこんなに雑に扱いやがって、殺してやる。

お前なんか地獄に落ちて、死ねばいい。

 

口が悪いにもほどがあるが、私は恐怖の訴えを黙って聞き続けるしかなかった。

なぜなら、その主張はしごくもっともで、押さえつけられ虐待され続けてきた者による純粋な叫びに他ならなかったからだ。

私は、恐怖に、一つの提案をした。

 

シャワーを浴びないか。そして髪を洗って、トリートメントしないか。

 

まったく下らない提案だった。

 

けれど、私は、恐怖がこのまま自分自身を乱暴に扱い、今にも腕にかみついて傷だらけにするのを放っておけなかった。

身ぎれいにして、清潔になって、大切に扱いたかった。

 

提案は、しぶしぶ受け入れられたようだ。

 

恐怖をなだめながら、ともに浴室に入り、熱めのシャワーで汚れを落とすことに成功した。

 

自分の中に、もう一人自分がいるなんて思っていない。

なんとか、動くために、自分をだましまだししているだけなのかもしれない。

それでも、叫びが少しだけ収まった。

自分を大切にせず、汚い場所へ突き落とした自分への怒りと恐怖。

その叫びを、無視してはいけない。

最後まで、聞かなくてはいけない。

 

浴室を出て、髪が半渇きになるころ。

私は、パソコンに向かった。

 

数件の仕事に提案を出す。

執筆がきまっているコラム4000文字ほどを2本仕上げ、納品した。

今日は、また派遣先企業の面接がある。

想像しただけで、嘔吐しそうになるが、そのたび、こうしてブログを書くのだろう。

 

希死念慮が罪悪感を凌駕するまでは、生きる努力をしていくつもりだ。