今日は最後の日です
先日、仕事を辞めてしまいました。
現在、求職中。
自分のあまりのクズ加減に、鬱を通り越して、感情そのものが停止してしまいました。自業自得ですね。
仕事を辞めてしまった経緯は、書きません。反省はしていますが、まだ振り返って向き合う気分になれないのです。
この1年で仕事を辞めたのは3回目です。
あまりの耐性のなさ。
正社員として採用された職場もありました。
仕事自体は苦ではありません。
お金がなければ生きていけない。
親や家族にも頼れる状況じゃないので、すぐさま求職。
先日、派遣の登録に行きました。
ずっと昔にネット登録だけして、本登録をしていなかった会社です。
電話で予約をして、伺いました。
台風が近づいており、雨模様。
派遣の登録って、簡単です。説明やスキルチェックも全てパソコンを使って行われます。
タイピング能力のチェックがあったのですが、結果はタッチタイピングが出来てるレベルの判定だそうです。出来てないけど。右手は人差し指しか使ってないけど。
私は憂鬱でした。
この2年間、会社勤めしながら、精神が崩壊しそうになりました。
辛いので病院にかかったところ、精神障害を持っているらしく、一生付き合っていかなくちゃいけないやつでした。
なんとなく、そんな気はしていたので、納得したと同時に、かなり絶望もしました。
薬の治療は辛い。
金がかかりすぎる。
とにかく最近は、生きていることが申し訳ない気持ちでした。
かと言って死ぬのも嫌だった。
何に対しても楽しみが見出せず、苦痛ばかり。
段々、感情がマヒしてきました。
とにかく、お金は必要です。
どれだけ苦痛だろうが、仕事場に復帰する必要があります。
今は、とにかく、生き残るためだけに、なんとか働き続けなければなりません。
今は、死ぬのは怖いし、自殺願望はないのですが、これから先、そういう状態にならないとも限らない。
死ぬことだけは、避けたい。
働いてお金を得なければ、死ぬしかないのです。
たったひとつだけ、今、やってみたいことがあります。
それは、小説を書くことです。
以前、中編をいくつか書いたことがあります。
書きたいテーマがいまいちはっきりとはしていないのですが、書く意思ははっきりとあります。
物語を、最後まで書ききりたい。
不思議なことに、この願望は、私にとって、死にたくないことと同義なのです。死にたくない、だから小説を書きたい。
キラキラした生活は諦めました。無理です。
意識を高く持つことも、私のような弱虫には無理です。
職場からほぼばっくれ同然に逃げ出し、社会人どころか人間として失格である私には、誇りを持てる要素がありません。
私が、なんとか生きていたいのは、親や恋人や友人に対して、自死だけは出来ない、裏切る訳にはいかない、という最後の罪悪感からでしかありません。
つまり、いい格好したいという、情け無い事情からなんです。
悪く言われたくない、それだけなんです。
誰かの役に立ちたいとか、貢献したいなんて気持ちは、本当にこれっぽっちも持てません。何故なら、私は自尊心が高く、高慢で、自意識過剰で、他人を見下しているためです。
そのくせ、悪目立ちは絶対したくないという姑息なところがあります。
景気のいいことを言う人や攻撃的な人は苦手です。そういう人のそばにいると、憎しみを抱くくせに媚びてしまいます。恐ろしいからです。
私は、徹底して、人間を信頼していないのかもしれません。
自分を含め、人間は非情で恐ろしいものだと考えているのだと思います。
とにかく、生き延びなければなりません。楽しみや希望は、今はみつからない。たったひとつ、小説を書きたいという願望だけはありますが、楽しみや希望とは言えません。
先日、派遣会社から連絡をいただき、働き口を紹介してもらいました。
派遣会社の営業の方と待ち合わせしたのですが、待ち合わせ場所を間違えました。
なんとか落ち合い、派遣先の会社へ向かいました。建材メーカーさんです。
早く派遣先が決まることを願っています。
給料をいただけるだけの仕事をできるよう働きたいのです。
もう、人間関係には振り回されません。いじめられようが無視されようが、働くしかありません。
私が一番辛いと思うこと。
それを言語化することが出来ないのです。
しかし、私は、自分を生かさなければいけないという義務感だけは持っています。自分が可愛いのです。
年老いた親にとって、自殺した娘になることは、避けなければなりません。
なんとか、クソな自己愛を満足させなければ、クソなリストカットはしたくないのです。(リストカット自体をクソと言っているのではなく、今の私がリストカットすることがクソなのです)
自傷や自殺をたてにとれば、少しは哀れみを買うことは出来るかもしれませんが、もう私にとって、それは無様な行為でしかないのです。無様で、クソで、吐瀉物です。
そこまでして、他人の同情に甘えるくらいなら、私ごときは、生きていない方がマシだと思います。
私なら、身近に私がいたら大嫌いになるでしょうね。
生きるためには、健全な自己愛が必要です。生きることを、楽しむ力が必要なのです。
精神障害や生きにくさを言い訳にしないために、健全な自己愛を育てたいのです。
それには、どうすればいいのか?
何かを、やりぬくしかないのです。
仕事においては、今、生きるだけのお金を得るために、なんとか、精神障害を抑えつつ、辞めずに行くこと。
幸い、仕事の能力自体は問題ありません。どこの職場でも普通にこなせていたのです。だから、激しい精神状態の地獄さえ、乗り切ることが出来ればよいのです。
そして、お金を得て、なんとか1人でも、食っていきながら、小説を書きたいと思います。
新人賞に応募して、受賞して書籍化されて、デビューしたいと思います。
もちろん、今は全く、そんな力はありません。
ただ、ただ、その目標に向かって、努力してみたい、それだけなのです。
何故、小説なのか、自分でも分からないのですが。
小説に関しては、デビューというひとつの結果を目指してやっていこうと決意します。
自分で結果をどうこう出来ませんので、一生デビュー出来ない可能性は高いです。
そこのところをどう捉えるかはまだ自分の中ではっきりとは決まっていません。
いついつまでにデビュー出来なかったなら諦める、というのはなんとなく違うと感じています。
まだ始まってもいないことに期限をつけるのは、現実的ではないように思えます。
とにかく、頭で考えているだけでは、何も進みません。
今、無職の精神疾患持ちの、自己中の中年女が、なんとか、前向きな目標を持って、進みだそうともがいているだけです。
食い扶持を稼ぐために、働くのは辛いです。私には、仕事場の人々が恐ろしすぎるのです。(多分、これは妄想です。自意識があまりに過剰なため、こういう考えから抜け出すことが出来ないのです)
しかし、働きます。
絶対に、なんとか、働きます。
そして、小説を書きます。
自分で決めて、それを行います。
決して、今日、ここに書いたことから逃げ出しません。
逃げ出す時は、自殺する時かもしれません。
このとりとめない決意表明は、私のリアルな知人には見せません。
偶然、この決意表明を見かけた方が、もしいらっしゃるなら、その方にだけ、読んでもらっているものです。
私は、生きるために健全な自己愛を育てるために、自分で決めたことを実行します。
死にたくないのです。
生きる喜びを知っているから、それをなくしたくないのです。
瓦れきの上のユンボ