本当に辛い

 よくある

本当によくある、クラウドソーシングの

 

ネットで調べて商品やダイエット方法やなんやかんやを紹介する記事をかく仕事

 

 

大嫌いです

 

ネットで調べるのが苦痛すぎます。

 

もう食い扶持が見つかったので、今回が最後だと思うのですが、

全然自分に向いていないと分かりました。

 

検索するのが苦痛です。

 

引き受けてみたら大量に検索する商品の羅列で、文字数と単価で単純に引き受けるもんじゃありません。

膨大なリサーチ時間がかかります。

引き受けた自分が悪いのですが、リサーチに時間がかかりすぎる場合は、記事の仕事はしないことにしました。

 

迷惑かけるし、向いていないんで。

 

つまり、クラウドソーシングでできる記事の仕事はほとんどなくなったわけです。

 

今やってる自由コラムだけにします。

 

それは全然苦痛じゃないので。

 

自分に向いてるか向いてないかを知るのって大事ね

 

でもね、どんなにどんなに苦しくても(個人的見解)

やっぱり、人にぶつけまくるのは嫌いだ  

不快感は誰しも経験する

 

しかし、それは、おのれのちょっとした工夫で軽減することも出来る

 

そのわずかの工夫すらしないのなら、文句を言わず黙って去れ

引きこもって、ずっと他人への恨みつらみをつぶやいていればいいのだ

 

不快感は、自分の中では真実かもしれないが

 

が、そが原因で他人を不快にさせるなら

それは他人から受けた不快感をはるかに超える卑しい行動だ

 

私も君も、感情があるんだよな

自分一人が傷ついている

自分一人が可哀想

自分一人が、手厚く接待される権利がある

 

などと考える野は卑しく、異常だ

 

で、私もずっと、卑しく異常に生きてきたが

 

過去は、もう取り戻せないので、

今をやるしかない

 

私は、卑しかったから、分かるのだ

分かりすぎるほどわかる気がする

 

これからだって、卑しくなる場面はあるだろう

 

わかるからこそ、君も苦しいが私も苦しい 私も苦しいが君も苦しい

 

互いの苦しみを互いに押し付け、手渡すことは不可能だ

 

苦しみは、自分一人で抱く

ちょっと、愚痴いったり相談したりしたって全くいいんだ

 

だが、工夫ひとつせず、コミュニケーションもせず、おのれの快不快だけを優先することなかれ

 

会話せよ

他人の言葉を聞け

 

映画館で前の人が少しくらい背が高いなら、一つ席をずらそうぜ

 

指定席だから?その正義感の意味は?

 

もう映画始まって45分たってるから、隣誰も来ないよ

もし来たら、ちゃんと理由を話せばいいじゃないか

とにかく、工夫していようぜ 努力はしようぜ

 

その場で黙って逃げて あとからSNSで悪口書いて何が解決するのか

 

今度映画見る時は、指定席の場合、前の人が背が高い時に、席ずれてもいいか、係員に聞いてみようかな

事前にな

 

 

 

 

 

 

 

 

自発的に意識混濁

意識を失ってしまいたい。

今感じていることをすべて夢にしたい。

死にたい では なく、今、何も感じないほど酩酊したい

ドロドロになってしまいたい

明日になれば、ちゃんと動くし、ちゃんと働くし、郵便の不在通知もちゃんと確認するから

 

私の意識を、このどうでもいい無意味な高揚から切り離したい

感情とは無関係の高揚から遮断したい

 

嬉しくなく、哀しくなく、怒りもなく、楽しくなく 

いまこの夜、この一晩を、越えるためだけのため、

私の名前を消してしまいたい

 

これといった理由もなく、希死ばかりがよぎるので

今夜はそれを、忘れさせてほしい

 

明日になれば

太陽が

雨でも曇っても見えなくても、地球は回る

太陽ある限り、生きなくてはならない

この国あるかぎり、生きなくてはならない

生きなくてはならない

これは、私の願望ではなく義務なのだ

 

義務として、今は生きなくてはならない

 

生きたいとか死にたいとかもう左脳から発信される言葉は消えてしまい、

今の感覚だけが、尿道につまった結石よろしく、粘膜を削り取るのだ

 

結石を薬で溶かしましょう

アルコールは役に立たず

恋人は、最近異様に早口になっている

 

スピードが早い

 

体の中のスピードは、止まるどころか、もう死んでいる

 

いつも、この場で自殺するかもしれないと、思いながら生活している

 

文字を綴るのはなんて楽しいことだろう

 

いつもこの場で、職場で、トイレで、電器屋で、ラーメン屋で、コンビニで、早口の恋人の目の前で、実家の2階で、この部屋で

 

とか考えてる時点で

私はしっかり元気に生きている

 

食欲が、すこしずつ戻ってきた

一日におにぎり一個と、そうめん半束(戻すことも)

だが、それでも、食べてもあまり、不快感がなくなってきた

 

今夜は、一人の部屋で一人でいるので

今だけ自分のことだけ考えさせて欲しい

君やあなたが大事だ

私が、死にたい消えたい、そしてそれを実行すれば、大切な君やあなたを裏切り傷つけ、苦痛を与える

 

それが、クソほどいやだ。

愛されているのを知っている

愛してくれている人を傷つけるのが嫌で嫌で仕方ない

わたしは、自分が愛し、自分を愛している人が悲しいとか苦しいとかが、嫌すぎて、辛すぎて、それがため、精神安定剤を必要としている。

 

異常なほど、死にたい消えたい願望と、他人との愛情の板挟みになる

 

 

波のように押し引きする希死念慮が、なんとか、今夜は「生き延び」の決裁をした

 

 

 

ビールのおかげかもしれない

若干、尿道結石溶けてるかも。

 

今夜に限って

 

 

 

 

 

 

クラウドソーシングの仕事がぼちぼち

昼間に仕事かつ自分用の書き物しつつかつクラウドソーシングの記事書いてる。

 

ランサーズ、クラウドワークス合わせて、月に2万くらいの仕事量。

やることが多すぎて、無気力になりそうなのを必死で抑えて、なんとか書いてる。

 

お金欲しいから

 

もうすぐ初給料が入るけど、月の半分しか出勤してないから、額は少ない。

月2万の副収入はありがたい。

 

それと、一寸人に言えない仕事でも先月けっこう稼いだ。

 

確定申告しなくちゃだわ。

 

8月はがっつり昼仕事入って、生活安定するから、心療内科も行けるし、物書きに必須のプリンターも買えるかもしれない。

 

私にしては、なんだか明るい記事だ。

 

お金があるのとないので、本当に精神的に違う。

でも、今でも希死念慮がずっと残ってる。

 

ふとした時に、消えたくなる。

これはもう仕方がないんだろうな。

 

安定剤はとっくに使い切ってしまって、まだ保険証が届かないから、全額負担になる。

保険証が届けば帰って来るけど、当面の現金が乏しいのはいやだ。

 

消費者金融への借金も考えたけど、いろいろ事情があって出来なくなった。

あんまり借金したくないから、それはいいけどね。

この1か月を乗り切るお金はなんとかあるから。

 

遅れてた光熱費も、昨日口座に入れたから、引き落とし日には間に合った。

 

食欲は、ほとんどない。

1日1食生活だ。

 

生きては、いく

きらびやかに希死念慮

夜身体が動かない

ひたすら、身体が辛い

昼の仕事では、なんとかやってる

 

ちょっと、無理しすぎたなあ

1人では何も出来ないなあ

 

死にたいばっかり考えてしまう

 

自分は死人だと思いながら生きると、悲しみもあるけど、解放されたような気分になる。

 

昼の仕事が見つかって、書き物の仕事もぼちぼちだ。

締め切り前にたくさん仕上げたいのに、身体が動かないのだ。

 

安定剤が切れてしまった。

足やら震えるが、昼間の仕事は何故か問題ない

きっと感情が死んでいるからだ。

 

職場で、頸動脈をかききる想像をする

生きるために仕事するが、仕事のために死ぬくらい辛い思いはもう嫌なので、私は、自殺する気持ちで仕事へ行く。

 

あの静かなオフィスで、死んだ気分で働く

しかし、仕事は捗るのだ

不思議だ。

 

しょっちゅう、本当に、死にたくてたまらなくなる

約束したから、死ねないから、生きながらにして、もう、希望や明るさやよく思われない気持ちは、消えかけている。

 

もう少し、1人でいたい

 

無言で無声でいたい

 

死にたい死にたくない

生きたい生きたくない

帰りたい場所

生きているという実感があるたびに、恐ろしくなる

自分は死んでいると思いながら生きていかれれば、少なくとも、日々は過ごせる

 

将来のことなど、全く考えない

希望を持ちたくない。

早く保険証とどけ

安定剤がなくなってしまった

 

 

早く帰りたい

なんもない場所に帰りたい

帰りたい

帰りたい

今日はなんにもやらない それと、リストカットの話

自分を傷つけることは、今日はひとつもしないって決めた。

 

だけど、安定剤と一緒にビールを飲んでる。

緊張を強制終了させるのだ。

 

昔みたいに、手首にカッターで傷をつけたら少し楽になるかと思ったが、食い扶持が営業職なので、見た目の安心感は大切なのだ。

 

リストカットを肯定してしまうと、きっと怒られる。

【常識的世界】では、それは許されない行為だろう。

 

私は、リストカットをしていた。

もうずっと昔だけど。

 

何回も縫合のために外科に行った。

お医者さんは、いつも科目だった。

 

塗ったり、ホチキスで止めたり、いろいろ。

 

今もうっすら跡が残っているが、ほとんどばれないくらいに薄くなった。

 

本当は、時々、しょっちゅう、四六時中、腕に傷をつけておきたい願望が持ち上がってくる。

その正当性は、きっと証明できない。

 

リストカットが酷かった時期、私の家から刃物が消えた。

両親が全て捨てたのだ。

 

精神科に入院してた時に、爪でリストカットしたこともあった。

 

実は、1週間ほど前、3本くらいの薄い傷跡を腕につけた。

 

リストカットを肯定することは【常識的世界】の倫理からは外れる。

けれど、私は、肯定も否定もしないことにした。

 

死んだように生きよう、と考えて、生きているが

時折、生の叫び声が襲ってくる。

 

虚無感。

 

虚無感は、「生きていく」という意欲を、著しく削りとってしまう。

 

この間のリストカット

猫にひっかかれた

で言い訳できる程度だった。

 

腕時計で隠せる場所だった。

 

死にたいからじゃなく、そうじゃなく、誰かに見せつけたいためじゃなく、虚無感から逃れるための抵抗なんだろう。

理解できない人に、無理やりにこの考えを押し付けるのはいけないことだ。

 

そして、私を大事に思ってくれる人を、傷つけてしまうことも、悲しいほどに理解している。

 

しかし、確かに

 

ビルから飛び降りるよりは、この方法の方が、私に限って言えば、生き残れる可能性は高い。

 

死にたい

 

と思ってしまうことは、悪いことなんかじゃ、絶対にない。

死にたい、と思うほど、苦しんでいるという事実がそこにあるのだ。

死にたい、と思うことを、悪いことだという人を信用しない。

 

ぞれぞれの、言葉にならない痛みを否定できる権利のある人間など、この世に存在しないと思っている。

 

けれど、リストカットすることは、自己嫌悪を増大させもする。

【常識的】な世界から批判をされるから、自分は、ダメな人間なんだと思ってしまったりする。

 

リストカットをしたからといって、その人がダメな人間かどうかなんて、誰にも判断できないじゃないか。

 

誰にも説明できない痛み苦しみを、自分の身体を使って、刻み付けているのだ。

 

私はと言えば、過去のリストカットは本当に悲惨だった。

3日に1回縫合をしに行くような状態だった。

 

 

だけれども、今は、傷が薄く見えなくなった。

 

両腕が血みどろになっても、何故か痛みは感じなかったのだ。

縫合したあとの方が、よっぽど痛みは強かった。

 

全く本当に。

 

今は営業の仕事だから、とても清潔感に気を遣い、爪もいつもピカピカにしている。

多分、きれいな腕だと思う。

 

リスカの衝動を、抑えているのは、今の食い扶持を維持するためなのだ。

 

誤解を恐れずに書くが、リストカット出来たら、どんなに、気分が楽だろうか。

 

誰にも、これを勧めたりしない。出来ない。痛いし、傷が残るし、変な目で見られるだろう。

だが、生きるか死ぬかで日々過ごす人々にとっては、どんな方法であれ、「今日も、かろうじて生きるため」という切実な理由があるのだ。

 

 

ただ

 

 

ただ

 

 

大切な人々を、必ず傷つける行為である。

そのことだけは、否定できない。

 

けれど、もし、リストカットをしていても、罪の意識を出来るだけ感じないで欲しいと願う。

 

自分の腕を血みどろにしてまで、生きようとするのだ。

 

ただ、傷をこれみよがしに晒すのは、個人的には大嫌いだ。

リストカットは、他人に見せつけるためのものじゃない。

 

少なくとも、自分にとっては。

 

もしやってしまったら、長袖を着る。

 

人それぞれだから、そこも肯定も否定もしない。

しかし、堂々と晒す気にはなれない。

 

あくまで私の中の基準だ。

 

リスカの傷を晒したい人を否定する気もない。